【 マレー沖海戦の参加艦艇をコレクション 】
作戦行動中の主力戦艦が航空機による攻撃のみで撃沈された史上初の海戦として知られる、1941年12月10日のマレー沖海戦。
その参加艦艇と航空機を一挙に揃えられるセットです。
艦艇はイギリス海軍の戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、優美なスタイルで知られる巡洋戦艦レパルス、2隻のE級駆逐艦エレクトラ、エキスプレスに加え、イギリス海軍のアドミラルティV級の1艦として1917年に就役し、後にオーストラリア海軍へ移管されたヴァンパイアをセット。
航空機は同スケールの日本海軍航空隊の一式陸攻10機と九六式陸攻9機を用意しました。
戦史にその名を刻んだ戦いをあなたの手で再現してください。
さらに、マレー沖海戦について詳しく解説した小冊子(全8ページ)が付属。
「日本プラモデル六〇年史」などで知られる小林 昇氏による戦闘の経緯を臨場感たっぷりに綴った文章や、当時の写真、攻撃隊の編成表と進撃図なども掲載した資料性の高い保存版です。
【 セット内容 】
●イギリス海軍 戦艦プリンスオブウェールズ×1(一式陸攻4機・九六式陸攻3機つき)
●イギリス海軍 巡洋戦艦 レパルス×1
●イギリス海軍駆逐艦E級×2
●オーストラリア海軍 駆逐艦 ヴァンパイア×1
●1/700一式陸攻・九六式陸攻各6機セット×1 ※「1/700 プリンス・オブ・ウェールズ マレー沖海戦」のキットには一式陸攻4機・九六式陸攻3機が入っているため、本セットの陸上攻撃機の合計は19機です
●展示用針金30cm×1
●マレー沖海戦 解説小冊子×1
【 マレー沖海戦について 】
イギリス海軍の戦艦プリンス・オブ・ウェールズは本国を出港し、1941年12月2日に巡洋戦艦レパルスと共にシンガポールへ進出しました。
イギリスはシンガポールの要塞化を図り、さらに新鋭戦艦を配置して日本の動きを牽制するつもりだったのです。
しかし、12月8日未明の日本軍の真珠湾攻撃を口火に太平洋戦争が勃発。
同日決行された日本軍のマレー上陸の一報を受けて、夕刻、フィリップス提督に率いられたプリンス・オブ・ウェールズ、レパルス、駆逐艦エレクトラ、エキスプレス、テネドス、ヴァンパイアからなるイギリス東洋艦隊がシンガポールを出港したのです。
翌9日は雲が低くたれこめ、しばしばスコールもあるという隠密行動にはもってこいの天候。
ところが、夕刻になると雨雲も晴れ、さらに日本の水上偵察機に発見されてしまったため作戦の強行をあきらめ、まず燃料の不足してきたテネドスをシンガポールに帰し、さらに午後10時頃に艦隊を反転させたのです。
しかし、夜半になってクアンタンに日本軍が上陸を開始したという情報が入ったため、夜明けを待ってクアンタンの状況を偵察し、日本船団を攻撃する作戦を立てました。
ところが、これはまったくの誤報だったのです。
このため当初の計画通りシンガポールへの帰路を急いだのですが、この10日、すでに日本海軍航空隊の攻撃隊は基地を飛び立ち、すぐに攻撃にかかれる態勢をとっていたのです。
午前11時45分、艦隊の上空に1機の索敵機が姿を現し、その1時間後には攻撃隊が姿を見せました。
午後0時45分、美幌航空隊のレパルス爆撃によって攻撃は開始されました。
レパルスは爆弾1発を受けたものの、右舷に旋回して魚雷をすべて回避。
しかし甚大な被害を受けたプリンス・オブ・ウェールズを救助するため接近したところに、鹿屋航空隊の一式陸攻から放たれた魚雷が命中。
午後2時3分、ついにその姿を海中に没したのです。
一方、元山航空隊の九六式陸攻9機の攻撃により左舷の煙突後方と艦尾に1本ずつの魚雷を受けたプリンス・オブ・ウェールズは左に傾斜し、速力は30ノットから15ノットに低下。
さらに午後1時50分、鹿屋航空隊の6機の一式陸攻が攻撃開始。
これにより右舷艦首近くに3本、艦尾に2本の魚雷を受けたものの15ノットで航行を続け、盛んに対空砲火で応戦を続けたのです。
しかし、午後2時3分に始まった美幌航空隊の九六式陸攻8機の水平爆撃により、500kg爆弾が後部艦橋右側に命中、左舷艦尾にも至近弾を受けたプリンス・オブ・ウェールズは午後2時50分に大爆発を起こして艦尾から波間に消え、フィリップス提督も艦と運命を共にしました。
戦闘終了後、駆逐艦エレクトラとエキスプレス、ヴァンパイアによって数多くの生存者が救助されています。
こうしてマレー沖海戦でその生涯を終えたプリンス・オブ・ウェールズとレパルスは、航空攻撃のみで撃沈された史上初の主力艦として、皮肉にも戦史にその名を刻むことになったのです。
スケール:1/700
形態:スケールプラモデル
メーカー型番:25422
商品コード:4950344254224
▼商品登録日:2019年11月22日